ユジャ・ワン Yuja Wang ピアノリサイタル 愛知県立芸術劇場 コンサートホール 2016.9.9

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ユジャ・ワン Yuja Wang ピアノリサイタル 愛知県立芸術劇場 コンサートホール 2016.9.9

腰まで切れ込みが入っている青のドレスそして緑のスパンコールのミニスカートとハイヒール。いつものユジャ・ワンのスタイルである。

2007年のボストン交響楽団とのアルゲリッチの代役であらわれたユジャ・ワンはその時若干20歳である。演目を変えて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を見事に弾ききり、アルゲリッチを期待してきた観客を沸かした。以来彼女のことは忘れていなかったが、ここ最近日本で演奏が見れるようになってきた。
今回は名古屋でも。

全体にカラフルで音、どれだけ早く弾いても1音1音がクリアに響く。
そしてなんと深い精神の響きだろうか。
ショパンバラード第1番も重い曲調である。なんだか優美さがない。それでも深く物思いに沈む音を響かせる。
ベートヴェンの中でもハンマークラヴィーアは難解である。僕には一度も心を震わせない。ユジャ・ワンが弾いたンマークラヴィーアは、技術的は素晴らしいが何か深みがない。僕にはこの曲がわからないからかも。

全体には、アンコールの曲がやっぱり良かった。
モーツァルト/ヴォロドス トルコ行進曲、
シューベルト/リスト 糸を紡ぐグレートヘェン
はいつものレパートリーだ。

スクリャービン
ピアノ・ソナタ第4番嬰ヘ長調 op.30
シューマン
クライスレリアーナ op.16
ショパン
バラード第1番ト短調 op.23

ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106
ハンマークラヴィーア


アンコール
プロコフィエフ
ピアノ・ソナタ 第7番第3楽章 トッカータ
ラフマニノフ
悲歌(エレジー)op.3-1
カプースチン
トッカティーナ
シューヴェルト(リスト編)
糸を紡ぐグレートヒェン
モーツァルト(ヴォロドス/サイ編)
トルコ行進曲

グスターボ・ヒメノ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 2015.11.9 名古屋 愛知県芸術劇場コンサートホール

ユジャ・ワン(ボストンシンフォニー)


ピアノソナタ第29番 (ベートーヴェン) 高度で膨大な内容を有し、ピアノの持つ表現能力を極限まで追求している。その技術的要求があまりに高すぎたため、当時のピアノ及びピアニストには演奏不可能だったと言われる。しかし、ベートーヴェン自身は「50年経てば人も弾く!」と一切の妥協をしなかった。
この「ハンマークラヴィーア・ソナタ」が、ベートーヴェンの全ピアノソナタというに及ばず、全てのピアノ作品の中でも最も長大で雄渾壮大、なかんずくその聖なる第3楽章 のアダージォは、古今のピアノのために書かれた最も深遠な思想の表出の音楽であり、またその終楽章のフーガは、技術的にも最も難解な作品として知られている。 グレン・グールドはインタビューの中で「鏡に映すと右手と左手がそっくり一緒になるパッセージが第4楽章にあり、確実に意図的だ」という指摘を示した。


作品における「困難」とは何か。
第一に作品を把握することの難しさ、つまり技術的に克服することの困難さ。
次に、音楽的な意味で作品が理解し難いと言うこと。全体が40分を越える全楽章
正直に言って、困難の最大のものはベートーヴェンによるテンポ指示である。 第一楽章 2分音符=138 、第二楽章 2分音符=80のメトロノ-ム指示には、ほとほと困惑する。

第三楽章 アダージョ・ソステヌート
 ベートーヴェンの全ピアノソナタの中でも最も心を打つこのアダージョについて、言葉で語ることは難しい。ベートーヴェンの創作を三つの時期に分ける事を考えた、ウイルヘルム・フォン・レンツは、このアダージョについて、「全世界のすべての苦悩の霊廟」と 呼んだり、エドウィン・フィッシャーは、「人が魂の最も深い所から出てくる何か特別の訴えには、囁きにまで声を落とす」とか、ロマン・ロランはこのアダージョに対して、沢山の感動的な文学的な言葉を呈していて、その中には色々感動的な文があるが、この音楽を美しいとか感動的とかいう言葉では表せないものである。 ベートーヴェンがこの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」を書きあげた頃は経済的には非常に苦しく、それに加えて政情不安定な時代の中、忍び寄る孤独と病に向かいあってこれと闘いながら書き上げたのである。

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